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百人一首 大津波の記憶その4....42番清原元輔「末の松山波こさじ」のはずが・・・

だれもが知る百人一首42番の清原元輔
「契りきなかたみに袖をしぼりつゝ末の松山波こさじとは」

末の松山

末の松山波こさじとは
↑ これですね。


・・・この多賀城の歌枕が今どうなってるかですが

宮城県選出 くまがい大 参議院議員の3月17日(木)のTwitter によると、・・・

末の松山は何とか無事でした。しかし、末の松山を波はこえてしまいました・・・。

とのこと。波はこえてしまいましたが、末の松山自体は無事だったようです。

延喜5年(905年)成立の古今集・

東歌・みちのくうた「君をおきてあだし心を我がもたば末の松山波も越えなむ」

・・・を踏まえて清原元輔(清少納言の父)が詠んだものです。

古今集が編まれた延喜・天暦という時代は、
王朝政治・王朝文化の最盛期となった理想の時代として後世の人々に観念されています

で、

この数十年前、貞観十一年(869年)に陸奥国で大地震があり、多くの建物が倒れ、津波が多賀城下に襲来して溺死者千人であった(新編日本被害地震総覧による)。この大津波では丘の上の松にも波がかかるほどであっただろう。(「末の松山浪越さじ」とは? 清水大吉郎 地質ニュース2000年9月号)

・・・と、10年ほど前のものですが「地質ニュース」にはあります。

あと、今、手持ちの本で見つけたのですが、

國文學第2007年12月臨時増刊号

國文學の平成19年12月臨時増刊号

に、「歌枕「末の松山」と海底考古学」という論文があります。
河野幸夫説
今読むとすごい論文です。

文系な人間なもので、この「國文學増刊号」が出た当時は百人一首と貞観地震・大津波の関係? なんだそりゃって感じで読み飛ばしていたと思います。

今は、もうただ絶句です。

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コメントありがとうございます

私は福島県の出身なので言葉が出ない日々です。

この論文

この論文のすごいところは、冒頭の一枚の写真です。それは津波の到達予想なのですが、東日本大震災の津波による浸水区域と驚く程に一致している。河野先生に直接質問したところ、雑誌の志向に合わせるために読者の恐怖心を煽るような記述は控えて欲しいと要望があり、近いうちに確実に大津波が再び押し寄せるという表現を削除せざるを得なかったとのこと、その代わり、この写真をさりげなく載せることで、津波が起こる可能性を伝えたかったとおっしゃってました。

とにかく

このブログの書き散らし主、花院堂ぶぶです。コメントありがとうございます。
tーt URLさん、そんな事情があったんですね、「國文學」編集部の意向という。
状況はさらに後ろ向きです。とにもかくにもこういう論文を載せた「國文學」という、一見不要不急の雑誌自体が休刊になっています。
津波の前にこの末の松山の論文を目した・・・。にもかかわらず、読み流してしまった・・・、そんな私としては、とにかく息切れせずに、長ぁい支援を続けるしかないと思っています。津波が過去のことになるにはまだまだ生ナマしすぎます、昔のこととして振り返るには相当の年月が必要だと思っています。
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花院堂ぶぶ

Author:花院堂ぶぶ
百人一首構造研の代表をしています。

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